a little episode of happiness
高速道路と私
「ささやかな幸せエピソード」
入選作品発表
たくさんの心あたたまるエピソードを
ありがとうございました。





「ささやかな幸せエピソード」入選作品
(順不同)
入選エピソードタイトル一覧
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ゆちゃむさま30代
わたしが母になれた、思い出の高速道路生まれ育った三重で里帰り出産を終え、茨城の自宅へ戻る道中。家族に見送られ、高速道路を走りながら、不安や寂しさで涙が止まりませんでした。でも、生後2ヶ月の娘はそんな私の隣ですやすや眠り、目を覚ませばニコニコ。その笑顔に、何度も「がんばろう」と思えました。「この子と一緒ならきっと大丈夫」と思えたあの瞬間を、今でも思い出します。茨城と三重をつなぐ高速道路は、私にとって母になった原点。ただの道じゃない。私が“母になる”覚悟を決めた、かけがえのない道なのです。通るたびに「母になれた幸せ」を思い出し、今娘がこうして元気に育ってくれていることに、心からの幸せを感じます。
ロケーション
E1A 伊勢湾岸自動車道続きを読む閉じる× -
ウルトラの母さま40代
幸せの渋滞梅雨のある日、運転好きの彼の車で自宅のある神奈川県横浜市から静岡県の朝霧高原へ。天気はあいにくの曇り空。もやで富士山も見えません。彼はこれはだめだなと困った様子。道の駅や牧場でひとしきり遊んだ帰り道、東名高速は大渋滞していました。車内でいろいろ話している中、さっきの困り顔にピンときていた私は早く言いなさいよと催促。彼は少しもじもじした後「結婚してください」と一言。見事プロポーズをゲットしました。返事はもちろんイエス。帰るのに4時間以上かかりましたがそれも含めて今もはっきり覚えている良い思い出です。現在は旦那となった彼と子供と一緒に高速道路を利用して毎年旅行を楽しんでいます。
ロケーション
E1 東名高速道路続きを読む閉じる -
かれんさま50代
料金所での声かけ阪神淡路大震災の翌年山口から1人で運転したときのことです。山陽自動車道が不通のため中国自動車道で関東へ向かいました。夜の中国自動車道は真っ暗でカーブも多くサービスエリアもトラックのみ、まだ20代前半の私は心細く早く家に帰りたい一心でした。夜通しトイレ休憩のみで走り続け、翌朝東京の料金所で通行券を渡すと「遠いところから頑張ったね。お疲れさま。この後も気をつけてね。」と声をかけられました。それまで不安と疲れとで張り詰めていた私は安堵し涙が出そうになりました。今でも料金所を通過するときあの言葉を思い出し、私も人に優しくありたいと改めて思います。
ロケーション
E1 東名高速道路続きを読む閉じる -
きらくさま20代
父と、風になる道病を抱えた父との最後の旅は、中央道を走って向かった信州でした。助手席で外を眺めながら、「また来ような」と笑った父の声が今も胸に残っています。諏訪湖SAで一緒に食べた温かいそば、紅葉に染まる山々、すべてがかけがえのない時間でした。父が旅立ったあと、私は1人同じ道を走りました。中央道は今でも、あの日の父と私をつなぐ道。流れる景色のなかに、あの笑顔がそっと重なります。いつか子供たちを乗せて、またあの道を走りたい。中央道にはこれからも、家族の思い出が積み重なっていきます。
ロケーション
E19・20 中央自動車道
(高井戸~小牧) 諏訪湖SA続きを読む閉じる -
APPAさま30代
渋滞がくれた、思いがけない癒し旅行の帰り道、高速道路のサービスエリアで食事休憩をしていると、突然の事故情報が入りました。渋滞の知らせに、一瞬焦ったものの、車内で長時間過ごすよりもここで待つ方が快適かもしれないと思い、しばらく滞在することに。すると、偶然にも足湯を発見。じんわりと温かいお湯に浸かると、旅行の疲れがスッと和らいでいきました。渋滞を避けたつもりが、思いがけず身体も心も癒やされる時間に。焦ることなく、時には立ち止まることも大切だと気づかされたひとときでした。次の旅でも、こんな「ささやかな幸せ」を見つけながらゆったりと過ごしたいと思います。
ロケーション
E1A 伊勢湾岸自動車道 湾岸長島PA続きを読む閉じる× -
フーマーさま40代
色んなことを忘れても母親を早くに亡くし、元日にはよく父と富士川SAに初日の出を見に行きました。しかしここ数年父が認知症になり、介護生活へ。日に日に症状が酷くなり、一人では生活できないほどに。私も泣く泣く仕事を辞めざるを得なくなりました。そんな中、ちょっと介護に疲れてしまい、元日に父を連れて富士川SAへ行きました。その頃には既に父は朝昼の区別さえ分からなくなっていましたが、展望台から初日の出を見ると「懐かしいなあ」とポツリ。色んなことを忘れてもきっと大切な思い出までは忘れないのでしょう。最後は父をおぶいながらこっそり泣いてしまいました。
ロケーション
E1 東名高速道路続きを読む閉じる -
けーえむさま30代
おかえりドライブ2024年秋、1年間のイギリス留学を終え帰国した。深夜、石川・小松空港の到着ロビーで待っていたのは、笑顔の父だった。「おかえり」日本流のあいさつが、異国での疲れを解かしていく。父の運転する車は、北陸自動車道へと滑り出した。「留学はどうだった?」短い問いに、堰を切ったように留学生活を語った。楽しかったこと、苦労したこと、出会った人々。父は相槌を打ちながら、時に質問を挟み、話に耳を傾けてくれた。夜の高速道路に染み出す街の光。市街地に入りきらめきを増し、歓迎ムードを強めているようで心地よい。自宅最寄りの西金沢までの約1時間。渋滞なき道のりが、この時ばかりはひどく名残惜しく感じた。
ロケーション
E8 北陸自動車道(米原~朝日)続きを読む閉じる -
たあさんさま70代以上
父子のハイウェイトラック運転手をしていた頃、一度だけ息子を乗せて名古屋に行きました。途中「パパ、おしっこ!」と言われ、慌てて足柄サービスエリアに駆け込み、今度は「うんち!うんち」と言われ、浜松サービスエリアへ。それはもうヒヤヒヤしっぱなしで。でもちょっと面白いこともありました。車内で私が「ここは東名高速道路だよ」と言うと息子は「えっ!とうめい?消えちゃうの!こわい!こわい!」と大号泣。結局最後まで「道路が消えちゃう」と泣いておりました。そんな可愛らしい息子も今や立派な社会人。今日も4トン車で東名高速道路を走っています。
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E1 東名高速道路続きを読む閉じる -
Flamencoさま30代
パーキングエリアの大冒険子どもが小さかった頃、家族で遠出するたびに寄るパーキングエリアは、いつも「抱っこの場所」だった。小さな体を抱きしめ、トイレまで、お店まで、どこへ行くにも一緒だった。やがて、少しずつ手を繋いで歩けるようになり、次第に小さな足でパーキングエリアを走り回るようになった。「あっち行ってみよう!」と目を輝かせる子ども。そして先日、「お腹すいた」と言った子に、「じゃあ、自分で何か買ってきたら?」と声をかけてみた。少し不安げにきょろきょろしながらも、小さな財布を握りしめ、売店へ向かう後ろ姿を見送った。数分後、誇らしげに戻ってきたあの笑顔は、一生忘れない。
ロケーション
E1 東名高速道路続きを読む閉じる -
kanta.Tさま20代
お財布と素直な心小学生の頃、家族でイチゴ狩りに行った帰り、高速道路のサービスエリアでアイスを食べていた。ふとベンチの下を見ると、茶色い財布が落ちていた。「お金が入ってるかも!」と興奮しながら親のもとへ駆け寄ると、母に「届けようね」と言われ、サービスセンターへ持って行った。その日はそれで終わったが、数日後、財布の持ち主から手紙が届いた。「この財布がなければ家に帰れませんでした。素直な心をいつまでも大切にしてください。」との旨が書かれており、手紙を読んだとき、胸が温かくなった。あれから十年以上が経ち、今では部活動のコーチをしている。今年で23歳になった、あの日の言葉を胸に、今でも素直な心を大切にしている。
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E19・20 中央自動車道
(高井戸~小牧) 談合坂SA続きを読む閉じる× -
チョコさま60代
虹の後押し3人兄妹の長男の息子は雨男で、遠足や旅行に行く時はいつも雨でした、息子が中2の時に主人が若くで亡くなり、いっとき人生の指針を見失っていましたが、20歳の時に仏教の道に進む事を決め寮に入る為、高速道路を私の運転で走っていました。午前中は雨だったので、やっぱり相変わらず雨男だねーと話していたら急に空が明るくなり、高速道路の端から端に大きな虹の橋が架かりその下をくぐって走り抜ける事が出来ました。こんな事が有るなんて、パパに後押しされてるみたい、この道で間違い無いよと言って貰えてるみたいだねと話していました。そしてなんとその日から雨男は晴れ男になりました。
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E1 名神高速道路(小牧~八日市)続きを読む閉じる× -
ぐららさま20代
親父と2人、車で14時間3年前、九州にある親の実家へ帰省した時のことです。親父から「買ったばかりの新車で帰省したい。」と言われ、車で九州へ行くことになりました。私は新幹線の方が楽なので、あまり乗り気ではありませんでした。東名高速道路では、仕事や恋愛、将来の話をし、意外と盛り上がりました。思い返してみれば、歳を重ねるごとに2人で長い時間話すことが減っていたように感じます。岡崎SAの八丁味噌ラーメンを2人で食べ、喫煙所で一服しているときにふと思いました。親父はこんな時間を過ごしたかったのではないかと。長い道のりだからこそ過ごせた、今では貴重な親父との思い出です。
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E1 東名高速道路 岡崎SA続きを読む閉じる -
ゆずっこさま20代
美しい風景に心も癒えました。失恋をしてずっと泣き腫らしていた私。そんな私を見かねて父がドライブに誘ってくれました。久しぶりの父とのドライブ。最初はぎこちなかったのですが、次第によくこうしてドライブしたね、と思い出話にも花が咲き、小さい頃にタイムスリップしたみたいでした。最初はとくに行き先も決めていなかったドライブでしたが、自然と東名で小さい頃よくドライブで通った富士川SAへ。小さい頃そのSAを通る時、私は寝ていたのですが、父はそこからの富士山の景色が大好きでいつか見せたいと思っていたようで。初めて見たその景色は今まで見てきたどの景色よりもあたたかく美しく、悲しみの涙も感動の涙に変わりました。
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E1 東名高速道路 富士川SA続きを読む閉じる -
シャニマナさま20代
透明の日「今日は透明だよ。」5歳の私にとって、最もワクワクする父の言葉だった。「透明の日」は、家族みんなで車に乗って、まずコンビニで大きなからあげと昆布おにぎり、酸っぱいシャリシャリが付いたグミを買う。それらを食べながら、父と母と姉と、しりとりをして祖母の家に向かうのだ。車を運転しながら父が私の好きなアイドルの曲を流してくれるのも、ジェットコースターみたいに早い車に乗るのも、特別な感じがしてドキドキした。あの頃から19年。今度は私が父と母を後部座席に乗せて「東名高速道路」を走るようになった。もうグミもしりとりもないけれど、「透明の日」のワクワク感はあの頃のままだ。
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E1 東名高速道路続きを読む閉じる -
優子さま30代
思い出の浜名湖サービスエリア結婚前よくドライブした夫と私。横並びでお気に入りの歌やラジオを聴きながら、たくさん話をしました。初めての遠出デートは浜名湖。途中浜名湖サービスエリアで流し素麺を食べたことを覚えています。浜名湖へは1人目の子が2歳の時にも、去年は2人目の子も一緒に4人でも行きました。照れくさいので夫には内緒ですが、子供が2人になって、また助手席に座るようになったこと、ちょっと嬉しいです。家族の歴史と共にある高速道路とサービスエリア。今年はジージバーバも一緒に浜名湖に行きたいねと話しています。
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E1 東名高速道路 浜名湖SA続きを読む閉じる× -
やすよさま40代
幸せの形子どもの頃、父の運転する車で色々な所へ行きました。まだカーナビがない時代です。助手席の母が分厚い地図を見ながら父に指示を出すのですが、分岐点で間違うことがよくありました。そのため海へ行くはずが山になるなど、目的地が変更になることが頻繁にありました。トンネルに入ると真っ暗になり、そのたびに姉とキャッキャ言ってはしゃいでいると、「お父さんが運転に集中できないから静かに!!」と、よく母に叱られたものです。サービスエリアで食べたソフトクリームや、渋滞にはまって家族でしりとりをして時間をつぶしたことなど、出掛けた先よりも移動中の記憶が強く残っています。私も子ども達にこういった幸せの形を残したいです。
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E1 名神高速道路(小牧~八日市)続きを読む閉じる -
みやこさま30代
弟のハンドルお盆になると父の運転でおばあちゃんの家へよく行った。あの頃は私と弟はお気に入りのサービスエリアがあり、混雑しているお盆の時期でも「あそこのサービスエリアに寄って〜!」と、よく父にせがんだ。そこで父に名物のソフトクリームを買ってもらい、家族で食べた。そして父が亡くなった今、弟がハンドルを握り田舎へ連れて行ってくれる。そして必ず、あのサービスエリアに立ち寄り、ソフトクリームを食べながら幼少期の思い出を弟と振り返る。その時間に、ささやかな幸せを今でも感じる。自分にも子供が出来たら、必ず連れて行ってあげようと思う。
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E1 東名高速道路 EXPASA浜名湖続きを読む閉じる -
こころあそびさま30代
実家と新居、家族をつないだ道2014年4月6日。昨日は新郎と呼ばれていた夫と2人で、大阪から名神、北陸道で白山ICへ向かった。結婚式や引っ越しの荷物をぱんぱんに詰め込んだのは、夫の祖父から譲り継いだ車。ペーパードライバーの私は昔ながらの車に怖気づき、運転は夫に委ねた。2024年4月2日。私は3人の子どもを乗せて白山ICから大阪へ。読めなかった女形谷、杉津、賤ケ岳なんて名前ももう読める。10年のあいだにすっかり車の運転にも慣れ、この北陸道も何度も往復した。長女が酔って吐いた日、積雪で下道におりた日、次女にトイレと急かされた日、恐竜の声を聞きながら息子とおにぎりを食べた日。この道には家族の成長がたくさん詰まっている。
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E8 北陸自動車道
(米原~朝日) 白山IC/恐竜は南条SA続きを読む閉じる× -
ふーみんさま20代
一生忘れない一日私は今、様々な事情が重なり、娘と一緒に「義兄」の家でずっと暮らしています。東京に来て初めて義兄と家族になり、義兄と私と娘の3人で行った高速道路が「東名高速道路」です。今でも忘れられません。足柄から見えた富士山の絶景を・・・生まれて初めての気持ちになったのを今でも覚えています。そして、その後義兄が私と娘を抱きしめて、「俺たちはこれからも家族だから」と言ってくれた言葉に涙が止まりませんでした。その日以来、私の誕生日には高速道路でこの場所に来ることが我が家の決まりとなっています。
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E1 東名高速道路 EXPASA足柄続きを読む閉じる -
富嶽一景さま20代
何もない日のドライブ4年ぶりに再会した友人と、新東名高速道路を北上して富士山を見に行った。お互いに忙しい日々の中、久しぶりに肩の力を抜いて過ごせるひとときだった。積もる話や、なんでもない笑い話を交わしながら車を走らせていると、カーブを抜けた瞬間、視界いっぱいに現れた富士山にふたりとも息をのんだ。その美しさで言葉にならない感動に包まれて、しばらく声が出なかった。ただのドライブだったはずなのに、あの日、新東名は「思い出の道」になった。
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E1A 新東名高速道路続きを読む閉じる
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